自己決定と意思表示

 皆様、こんにちは。くろさかなです。初めましての方は初めまして。今回は、人それぞれに必ずそれをする時が来る、「自己決定」と「意思表示」について書いていこうかなと思います。人として、「自己決定」も「意思表示」も、少なくともどちらかは経験すると思います。その時に正しい理解を持っていなければいけないなと感じたので、私の意見をここで書いておきます。あくまで一個人の意見として読んでいただければと思います。

 

 

 

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 自己決定とは?

 自己決定は、文字通り物事を自分で決めることです。自己決定権という権利として使われることも多いです。自己決定権とは、古代ギリシア語に由来する言葉で、古代ギリシア語では「自分で自分に自信の法を与える者」という意味で使われていました。現在では、一般に「自分の生き方や生活について、他者からの干渉を受けることなく自らの事について決定を下すこと」を言います。簡単に言ってしまえば、自分のことは自分で決める、誰かに無理やり決められるものではないということですね。

 とはいえ、今の日本では、すべてにおいて自己決定ができるわけではありませんよね。会社で働く場合が特に分かりやすいと思います。上司からの指示に対して、自分で決めると言って身勝手に断ることはできませんよね。その例からも分かる通り、すべての事について自己決定が認められるわけではありません。ただし、自己決定権が認められなければならない事も多くあるかと思います。

 自己決定権が認められなければならない事

 前述した通り、自己決定権には認められなければならない事もあります。それは、例を挙げるならば命に関する自己決定ですね。男性が男性らしく、女性が女性らしく生きようとするのも自己決定です。他人から、「男であっても女性らしく生きろ」とか「女であっても男性らしく生きろ」と強要されたとしても、それを拒否するのは自己決定です。誰かに決められるのではなく、自分自身がどう生きるかを決める。それはれっきとした自己決定です。また、他人に「死ね」と言われてもそれを拒否する、生きる。これも、他人に無理やり決められてはいけない自己決定です。これは極論なのですが、「私たちは生活している段階で、生きるという自己決定を下している」とも言えるのではないでしょうか。自分の命は、誰かに強要されてはいけない、自己決定権が認められん化ければならないものであると思います。

 また、もっと身近な話で言えば、自分が働いて稼いだお金を自分がどう使うか。これも自己決定ですね。誰かに、「お前は稼いだらまず最初に冷蔵庫を買え。その次は本棚を買え。その次は扇風機、その次はジャケット。」などと決められてはたまったものではありませんよね。自分が働いて、自分の手で稼いだお金を自分がどう使うか、それは自分が決めること。それもまた自己決定ですよね。私たちは、大きなものから小さなものまで、常日頃から自己決定をしているのです。

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 意思表示とは?

 意思表示も、文字通り自分の意思をしてに示すこと、言い換えれば自分の意見を主張するということですね。意思表示の手段は多くありますが、共通して明確に言えることがあります。それは、明確に示すこと、表示することです。つまり、言葉や文字、行動といった目に見える形で示さなければならないということです。自分の中でいくら反対であると思っていても、何かしらの目に見える形で表示しなければ、その意思は誰にも示されませんよね。表示という言葉の通り、自分の意思を何かしらの形で表示することが意思表示ですね。ドナーカードのような、臓器移植をする、しないといったものも、身近な意思表示ですね。

 また、意思表示は法律用語としても使われます。法律の中での表現を簡単にまとめると、「法律上の効果を発生させようとして意思を表示する行為。単独で効果が発生する場合と、他者の意思表示と合わせることで効果が発生する場合がある。」というようなものになります。単独で効果が発生するものとは、例を挙げるなら遺言ですね。自分がいなくなった後のことを紙面にまとめ、自分の意思を表示するものです。逆に、他者の意思表示と合わせることで効果が発生するものとしては、契約が分かりやすいかなと思います。買い物で言えば「買います」という意思表示と「売ります」という意思表示が合わさろことで、売買という契約の効果が発生します。ただ、意思表示には大きな落とし穴があります。詳しくは後述します。

 

 意思表示の落とし穴

 意思表示時には落とし穴があると前述しました。その落とし穴とは何だと思いますか。答えは多くありますし、正解というものは無いかもしれません。なので、ここでは1つの事例を挙げていきます。その事例が、「ALS」という難病についての事例です。「ALS」とは、筋萎縮性側索硬化症の略称です。これは、運動神経系に障害をもたらし、持続的に進行していく神経疾患です。ここでは細かい症状の説明は省略しますが、徐々に体が動かなくなり、最終的には自分で呼吸ができなくなってしまうという難病です。

 この、呼吸ができなくなってしまう症状に対抗するものが、人工呼吸器です。これは、喉に装着して直接呼吸をサポートするものです。病院では、これをつけるのかつけないのか、ALS患者自身が決めることになります。ここは、前述した自己決定とも繋がりますね。そして、人工呼吸器をつけない場合には、紙面においてその意思表示をすることになります。ここに落とし穴があります。人間とは、少しのきっかけでも意思が変わる生き物です。これは、人である以上仕方ないことでしょう。ですが、ALSの進行が重度となると、喋ることができなくなってしまいます。そうなってしまった時に、ALS患者の意思が変わった場合、どうなるでしょうか。人工呼吸器をつけないという意思表示の紙面が優先されてしまい、変化した本人の意思がくみ取られないという場合があるのです。

 実例を挙げると、あるALS患者の女性は、家族に負担がかかる位ならと、人工呼吸器をつけないという意思表示をしました。しかし、彼女の弟さんの一言「俺は姉ちゃんにもっと長生きしてほしい」という言葉で、意思が変わり、人工呼吸器をつけることを決めました。この事例は、あくまでも助かった事例です。中には、人工呼吸器をつけないという紙面の意思表示が勝ってしまい、人工呼吸器をつけたいという本人の意思が、言葉にできないまま亡くなってしまう場合もあります。人間、意思は変わるものです。ましてや、ALSで人口呼吸器をつけないという選択は、少しずつ呼吸ができなくなっていくことを意味します。初めは僅かにしか感じていなかった息苦しさが徐々に増していき、最終的には呼吸ができなくなります。この苦しさは、人の意思を変えるには十分なものです。もちろん意思が変わらない人もいるかとは思いますが、何かのきっかけで意思が変わったとき、もうすでに手遅れということもあるのです。これが、意思表示の落とし穴です。紙面に明確に表記された意思は、声を出せない人の本当の意思を隠してしまうものにもなるのです。

 

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 まとめ

 今回はここで終了となります。今回は、自己決定と意思表示という、誰でも通るであろうものについて書いてきました。ただ、今回書いたものはあくまでも私の一個人としての考えです。違った意見、反論、否定などもあるかとは思いますが、私自身の考えでしかないということはご了承ください。それでは、ここまで読んでいただき、ありがとうございましたm(__)m