生きること・命があること

 皆様、こんにちは。くろさかなです。初めましての方は初めまして。今回は、少し重い話題になってしまいますが生きることについて、私なりの考えを書いていきたいと思います。ただ、様々な考え方があるものだと思うので、あくまでも私個人の考えであるという点はご理解ください。また、今回は極論や過激な意見があるかと思います。読んでいただいた方に不快な思いをさせてしまうかもしれません。申し訳ありませんが、ご了承いただければと思います。

 

 

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 「生きる」とは

 「生きる」とは何なのか。私は、最近そんなことをよく考えます。「生きる」「生きている」とはどんなものなのでしょうか。家があって、家族がいて、仕事をしていて、生活をしているのであれば、それは「生きている」と言えると思います。また、憲法の中でも生存権は、「健康で文化的な最低限度の生活を送る権利」として保証されています。では、その条件に当てはまらない人はどうなるのでしょうか。

 例えば、野宿生活者の生活は、生存権として保証されているものを満たしているでしょうか。今の社会では、怠け者等のレッテルを貼られ、後ろ指をさされる生活を余儀なくされています。住む家も家族もなく、仕事をして得られる賃金も少ないものです。そんな状態で、生存権は守られているのでしょうか。偏見から差別を受け、寒さに震え、明日への不安を抱えて毎日を過ごす生活が、果たして最低限度の生活なのでしょうか。

 「命」があること

 「命」があることは、「生きる」こととは違うのでしょうか。私は、違うと思います。「命」は誰にでも平等にあります。人間だけでなく、犬や牛、鯨やサメであっても、「命」があります。しかし、「命」があることと「生きている」ことは=で結べるとは限らないのではないでしょうか。例えば、先述した野宿生活者の方々が送っている生活と、中小企業に勤める妻子持ちの人の生活は同じものではありません。野宿生活者の方々は、健康で文化的な最低限度の生活を送れてはいないのです。また、植物状態の人はどうでしょうか。死刑宣告を下された人はどうでしょうか。それらの方々も、当然「命」を持っています。しかし、「命」を持っているだけでは、「生きている」とは言えないのではないでしょうか。

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 「命」の重さ

 皆様は、「命」の重さについてどう考えていますか。私は、人によって大きく変わってしまうものだと考えています。例えば、警察が100人いて、2人の殺人犯が1人は国のトップを、1人は一般人を狙った場合、100人の警察のほとんどは国のトップを守るでしょう。同様の例で一般人と野宿生活者の場合には一般人を優先して守ると思います。「命」の重さが本当に平等なら、どちらかが優先されることはなく、両方を50人ずつで守れば良い話です。しかし、実際にはそうはなりません。必ず、優先して「命」を守られる人と、「命」を軽視される人が出てしまいます。「命」は平等に扱われるべきというのは単なる理想であり、現実には「命」は平等ではないのです。そして、自分の命を誰よりも重視できるのは、他の誰でもない自分自身です。

 

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 「自殺」について

 日本では、自殺してしまう人の数が多いです。そのきっかけは様々であり、職場でのパワハラや過重な残業、学校でのいじめ等、多くのことがきっかけとして考えられます。そして、自殺してしまう人に共通しやすいことが、「自分の命を軽視している」ということです。これは、自分を大切にできる人や自分に自信が持てる人、自尊心が高い人には理解されにくい感覚です。自分の命を軽視してしまうきっかけは、過去のトラウマであったり、愛されていない環境に置かれたりすることが考えられます。そして、自分に自信が持てません。そして、克服がとても難しいです。自分に自信が持てない、行き過ぎてしまえば自分が嫌い等の自己嫌悪状態にまで陥ってしまう状態なので、自分から克服するというのは難しいです。なので、周囲の人が克服を援助しなければならないのですが、自分の命を軽視する人に素直に話を聞いてもらうというのも、難しいです。自分のことが嫌いで他の人間は好きだという人は稀です。基本的には、自分を嫌うと同時に他人を嫌います。なので、素直に話を聞いてくれなかったり、表面上では素直に聞いていても内心では疑い、聞く耳を持たない人もいます。そうなる以前に助けることができなければ、自殺を無くすことはできません。しかし、自殺を失くすために原因になるものを断ち切るというのも難しいです。パワハラであれいじめであれ、認知度が低いがために横行していることではありません。大きな問題として取り上げられ、認知度も高いというのに起こっています。今のままでは、自殺はなくなりません。日本全体が、自殺を失くしていこうという考えを持たなければ、なくなることはありません。今の社会が変わらない限り、自殺という問題はいつまでも残ると私は考えています。

 私にとっての「命」

 最後に、私にとっての「命」ですが、私は自分の「命」を軽視する側の人間です。常に自分なんて死んでも良いと考えています。それでもこうして生きているのは、私が自殺する覚悟も決めることができない臆病者だからです。死ぬための行動をとるのが怖く、死ねなかった場合のことを考えるとさらに怖くなり、死にたいと思いながらも死ぬことができない半端者です。生きる目的や生きる理由が見つかるのであれば、死にたいとは思わないのかなと考えるときもあります。ただ、私はもう20年以上生きてきた中で、生きる目的も理由も見つけられずにいます。そして、見つけることを諦めてしまっています。私にとって「命」とは、その程度のものです。

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 まとめ

 今回はここまでとなります。今回は、極論であったり行き過ぎた考えであったりもしましたが、最近の自分が考えることをまとめてみました。こうして文面にまとめてみると、まともなことを考えていないなと感じます。ただ、この性格はもう治らないので、死ぬまでこんな考え方のままでいようと思います。それでは今回はここまでです。最後まで読んでいただきありがとうございました。